2012年2月27日月曜日

資産1兆円を持った男の見た世界=桃源社の故佐佐木吉之助社長の思い出—「私の人生は貧しいものだった」

佐佐木氏写真

佐佐木吉之助氏(写真)が昨年9月に亡くなったという。バブル経済最盛期、自分の全株保有する資本金1000万円の会社「桃源社」が145の不動産を所有。その含み益が1兆円となり、米経済誌『フォーブス』の1989年調査で世界12位の富豪になった人物だ。その後に地価暴落の中で繰り返しメディアに登場。国会などでの偽証罪で刑事訴追され、ビルは全部手放した。バブルの凄さと怖さを体験した人だ。享年79歳だった。

私は晩年少し交際があったが、1月の週刊新潮の報道までその事実を知らなかった。ご冥福を祈る。

「あなたは何のために1兆円を稼いだのか」。彼を題材にしようとしてある著名ノンフィクション作家が彼に取材を続け、こんなことを聞いたそうだ。誰でも、この疑問を彼に抱くだろう。

佐佐木氏はこの作家が嫌いだったそうだ。そこで「分かんねえよ」と、つっけんどんな態度で答えた。その作家は佐佐木氏に怒り、取材を止めてしまった。

しかし「この答え本心なんだ」と私に話していた。彼はバブルの時代に、また資産を失ったときに何を考えたのか。読者の皆さまも、今後の私も「資産1兆円を持ち、なくした男」に出会う可能性は少ないだろう。私の解釈を加えずに、彼のユニークな言葉を再録してみる。

「俺は大きな意志に踊らされていたピエロ」

「何で金持ちになったのか。そして資産を全部なくしたのか。この力がどこから来たのか、自分でもよく分かんないんだ。俺は物欲も権力欲も金銭欲もない。うまい物を食べ、いい女をはべらせ、贅沢三昧することにまったく興味はない。医者だから放蕩を続けたら健康を害することは分かっていた。自分の限界を試したいという思いは当時少しあった。今になってこんなに資産を作って、全部なくして、映画のような出来事ばかりを繰り返してすごい人生だなと一人で笑っている」

「何も考えずに行き当たりばったりでやっていた。今になって振り返ると、運命がこんな状況を作り上げたんだと思う。俺は一種の「ピエロ」。何か大きな時代の意志に踊らされていたんだ。不動産なんてやりたくなかったんだ」

「俺をつぶしたものは何かと考えるけど、やはり人間の嫉妬と欲望が大きいんじゃないかな。儲かっている人間をつぶして、金を奪おうという集合意志が働いたのさ。俺は政官財暴のあらゆる勢力から目の敵にされた。成り上がりのディベロッパーに対する反感なんだろうな」

「あのバブルの時代、欲望をありのままに出す人間が多くて、嫌だったけど面白いと思ったことも多かった。俺の周りにすり寄ってきたのは金の亡者ばかりだ。株取引疑惑で98年に自殺した代議士の新井将敬もちょっかいを出してきた。彼の場合はかわいいワル。闇の世界から政治家まで「化け物」だらけだった。そうした奴らは大嫌いだけど、人間らしいと笑いながらみていたよ」

虚無的な発想と独特の理想が同居した不思議な人物

一連の発言から分かるように、彼は世の中を冷笑する虚無的な面のある人物だった。しかし人間とは不思議なもので、佐佐木氏の中には倫理観や理想も、独特の形で同居していた。

「桃源社の名前は、陶淵明の詩「桃花源記」に出てくる不老不死の理想の地「桃源郷」から取ったのさ。俺、慶應の医学部で成績は良くて、研究者として残れと誘われた。けれど医学界の束縛がいやだった。70年ごろ、今あるようなカルテの情報管理とか、海洋の生物や物質の薬や医療への利用を考え、金を稼いでそれに投資をしようとした。医学の役に立ちたかったんだ。不動産は儲けやすかったんで始めたが、それが本業になったんだよ。俺にロマンチックな面があることは、あまり知られていないけどね」

「なんでバブルの責任が俺個人に追及されるか、分かんないね。俺は全額返せなかったけど、返済に最大限の努力をして、それはノンバンクなどの貸し手から評価をいただいている。世間は知らないだろうし、信じないだろうけど、商売での信用を大切にした。マスコミは「反省しているか」と聞くが、あんたらには関係ないだろと言い返している。それは個人の内心の問題だ。俺は他人に迷惑をかけないように必死に頑張った。それを認めてくれる人もいる。それでいいじゃないか」

「俺の財産を狙ったあくどい奴の顔が200人ぐらい浮かぶねえ。ただし世の中はうまく出来ているよ。その9割が社会的に10年経つと破滅していた。老子の「天網恢々疎にして漏らさず」という言葉はその通りだ」

また佐佐木氏には人間くさいところもあった。趣味は作詞。見せていただいたが、私は演歌の歌詞の質は判断できないものの、「昭和の演歌」で素人目でみても明らかに上手ではなかった。

真のリッチマンとは?—「俺は貧しい人生だった」

私は彼を中心にしたルポルタージュを書こうとしていた。息子さんが30歳で2008年に突然亡くなる悲劇があり、また佐佐木氏が体調を崩してそれは中断してしまった。

彼を中心に時代を描きたいと思ったのは、彼の虚無的な思考が、バブルの時代の根底にあった「時代精神」とつながっていたように思えたためだ。私は71年生まれでバブルの時代は高校生、大学生だった。個人でバブル経済を体験しなかったが、大人たちが浮かれ続けた不思議な時代であったと、今振り返ると思う。

金がただ金を生み続けた時代。そこには思想や倫理がなかった。その重要な演者の佐佐木氏は「社会のため」という言葉を冷笑する虚無的な人物だった。このつながりを私は興味深く感じる。

同時に佐佐木氏は不思議な面を持っていた。冷血漢というわけではなかった。私は違和感、不快感を抱く点があったものの、佐佐木氏の体験や独特の思考を知ることは楽しかった。心が深く通い合ったという感じはなかったが、何度か面会し嫌われてはいなかったと思う。

また佐佐木氏と交流のあった2006年から09年は日本での不動産、株の新興市場のミニバブルが発生、崩壊した時期だった。彼は不動産市況の動きを的確に分析し、その鋭さには「さすが」と思った。その見立てを聞き、経済記者として分析に使った。

最愛の一人息子がなくなる悲劇の後で、2008年に会った時、墓前へ備えてくださいと私が花を渡すと涙ぐんだ。そして次のような言葉を聞いた。

「事業が膨らんでいるときも、うれしいとか、楽しいという感覚はなかったねえ。そもそも生まれてきたのが不幸だと思っている人間だ。心の中にはすべてを醒めてみる「虚無感」が巣食っている。それで息子もいなくなった。人生なんて本当につまらんものさ」

「真のリッチマンというのは、精神的にも、時間的にも、空間的にも、自由な人間であると思う。俺はすべて対極にあった。寝る間もないまま働き続け、どこにも移動できず、精神は仕事に拘束され、つくったビルも全部なくなった。本当に貧しい人生だったと思うよ」

こうした言葉に「そんなに自分を卑下しなくても…」と私が言うと、「そう思うから仕方がない。君も俺の変な人生から人の生きる意味を考えてみてはどうかね」と言われた。私は考えているが答えは出ない。おそらく考え続けても出ないだろうが、佐佐木氏の人生はさまざまな思索の材料を提供するだろう。

佐佐木氏のご冥福を心から祈る。

石井孝明

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